001

家屋に刻まれた歴史を残し
家主の意志ごと引き継いでゆく

  • 引き継いだ人
    菊地 寛さん

    愛媛県出身。宮島に移住後、『厳妹屋』『因幡邸』の2棟を購入。家主の意志とともに伝統建築を引き継いだ。

  • つないだ人
    菊川 照正さん

    旅館 『厳島東門前 菊がわ』を経営する傍ら、町並み保存活動にも取り組む宮島のキーパーソン。

  • 託した人
    小幡 京子さん

    宮島出身。現在は島外在住。自身の生家であり、大切に守ってきた築160年の町家『因幡邸』を菊地さんに託した。

世界遺産・嚴島神社で知られる宮島。
国内外からの観光客で賑わう表参道商店街から少し入った「町家通り」には伝統的な町家が建ち並び、人々の暮らしが息づいています。

愛媛県から広島市を経て宮島に移住し、歴史ある町家2棟を購入して継承・活用に取り組む菊地さん、宮島の町並み保存や地域活性化に長年尽力し、若い移住者に物件を紹介して起業のサポートを行う菊川照正さん、築160年の町家『因幡邸』のオーナーとして家を守り続けてきた小幡京子さんの三人にお話を聞きました。

宮島移住と起業の経緯

菊地:広島市で進学・就職し、広告営業の仕事をしていたのですが、「ゆくゆくは自分で何かやりたい」「どこかに根を下ろしたい」という思いを漠然と抱いていて。移住のきっかけは、旅館 『菊がわ』のホームページの仕事で宮島を訪れたことでした。

私が生まれ育った愛媛県の上須戒は、神事との関わりが深い地域。だから信仰文化や民衆芸能が残っている宮島に惹かれたのだと思います。また宮島は商業的にも優れている町なので、自分で何か商売をするのにも適しているなと思い、仕事で訪れた1年後には移住していました。2004年、24歳のときですね。

菊川:地域を盛り上げてくれるのは、夢を持って移り住もうとする若い子たちだと考えているんです。なので若い移住者たちに空き物件を紹介して、事業を始めるサポートを行っています。

僕はいつも、表から来た子に「君の夢は?」と聞くんですよ。菊地くんは「キャンピングカーで世界一周旅行」と答えてくれて、まっすぐで面白そうな子だと感じました。

菊地:壮大な夢を答えていましたね(笑)。
移住直後は『菊がわ』に住み込みで働かせてもらっていました。
『厳妹屋』との出会いも、菊川さんからのご紹介でした。

高齢となった持ち主の方が買い手を探していたそうです。
自分で商売をするための物件を探していたときに現れた、すばらしい物件。
思い切って「買います!」と手を挙げました。


菊川:コンディションが良好で、大きな手入れをせずとも小資本で運用できる物件だったんです。だから、若い人に託したかった。

菊地:購入した時点ではどんな事業をするか決めていませんでしたが、明治時代に建てられた歴史的家屋を活かしながら収入を得るには宿泊業が良いだろうと考えました。『菊がわ』で学んだノウハウもあったので。宮島独特の神様の間「おうえの間」など伝統的な造りを残しながら、必要な部分は改修し、一棟貸しの宿『厳妹屋』として開業しました。

仲介業者がいない宮島で物件を探すコツ

菊地:『菊がわ』での住み込みを経て、一人暮らし用の町家を借りたのち、結婚を機に別の借家に引っ越しました。

田舎ではよくあることですが、宮島も例外ではなく、ほとんどの物件は不動産会社などの仲介業者がいません。なので基本は個人契約。町を歩いて、良さそうな家を見つけたらオーナーさんに直談判していました。普段から目星をつけておくことで、地域の方々から「あの家が空いたらしいよ」という情報が入ればすぐ行動できるようにしていましたね。

物件探しのカギは、やはりご近所づきあいにあります。
オーナーさんにとって、大切な家や土地を知らない人に貸したり譲ったりすることはハードルが高いですよね。

だからこそ地域に溶け込み、日常的にコミュニケーションをとることが大事。
もし私が宮島以外の、仲介業者がいない田舎町に移住するとしても、同じ方法で物件を探すでしょうね。

菊川:やっぱり町内会などのコミュニティに入って、地域に馴染むことが大切ですよね。「どうなん?元気なん?」「最近顔色いいね」といった世間話や相談話ができる関係性を築いていくことが物件探し、ひいてはその町での暮らしやすさに繋がっていくと思います。

築160年の家を引き継いだ経緯と思い

小幡:『因幡邸』は江戸時代後期に建てられた築160年の町家で、私の生家です。宮島を離れてからは両親が週に1回ほど訪れ、週末泊をしながら必要な手入れを行っていました。父が他界した後、母一人では管理が難しくなり、私がその役目を引き継ぎました。

家族や有志、友人などに手伝ってもらい、時にはイベントも開催しながら、みんなでこの家を守り続けてきました。その後、短期間だけ賃貸に出していた際に、菊地さんとのご縁をいただいたんです。その時も、菊川さんにお世話になりました。

菊地:小幡さんとは、広島工業大学のまちづくり講座で初めてお会いしましたよね。

小幡:そのときから菊地さんは宮島出身の同級生たちよりもこの街の歴史や文化を残そうという気持ちが強く、深い方だと感じていました。

『因幡邸』は私の大おばから母が引き継ぎ、私自身も生まれ育った家。生活が根付き、100年、150年…と形を変えずに維持管理してきた家ですので、「空き家」「古民家」という言葉で形容されることには違和感があるんです。私にとってはやはり、宮島の伝統的な「町家」なんですね。

過去にはこの家の改修や存続をめぐって、涙が出るほどつらい思いをしたこともありました。けれど、菊地さんは価値を分かってくださり、「女性的な家ですね」と言ってくれたんです。そう表現してくれたのは菊地さんが初めて。うれしかったですね。

菊地:小幡さんのお母さまが管理していらっしゃった『因幡邸』は、ふすまの金具や天井、床の張り方などに、女性ならではの感性が見受けられるんです。独自の建築的特徴と、暮らしの歴史が詰まった町家を残していきたいと思い、購入させていただきました。

小幡:菊地さんへ託すことに、躊躇はまったくありませんでした。彼のお人柄はもちろん、旧知の仲であり、町並み保存に取り組まれている菊川さんの存在も大きいです。

菊川:『因幡邸』は小幡さんが残そうと頑張ってくださっていたおかげで、菊地くんという適任者のもとに渡りました。

けれど家主の高齢化などで、大切に守ってきた家の行く末について適切に意思決定できないパターンは多いですよね。これは宮島に限らず、どの地域にもある問題だと思います。

だから物件を信頼できる相手に託したい、引き継いでほしいと考えている方は、早めに行動されたほうがいいと思いますね。

菊地:誇りをもって維持管理してきた家を「空き家」と呼ばれることに抵抗がある人は、小幡さんだけではないと思うんです。元の持ち主さんの気持ちを無視した使い方や改修をするのではなく、意志ごと引き継ぎたいと私は考えています。

伝統的な家屋をモダンに改修することはいつでもできます。けれど古いものは、一度壊してしまったら再び作ることはできません。『因幡邸』もこの家が持つ「におい」、つまり積み重ねられた歴史を残しながら、次世代の人に手渡せるよう活用していきたいですね。

ちなみに現在は、宮島での思い出づくりをコーディネートする『宮島きもの時間』にお貸ししています。

宮島暮らしに向いているのはこんな人

菊地:菊川さんたちのご尽力のおかげで「廿日市市伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定され、2021年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された宮島は、歴史や文化を残す取り組みがしたい人に向いているのではないでしょうか。
私の場合はライフワークとして宮島の民謡を習うなど、民衆芸能の継承も楽しみながらやっています。

菊川:菊地くんをはじめ、今や人気カフェに成長した『伊都岐珈琲』の佐々木くんなど、表から来た彼らが「若い移住者でも商売で成功できるんだ!」という好例となり、近頃はまた移住希望者が増えています。でも「商いがやりたいからこの町に来た」という人よりは、「地域の役に立ちたいから商いをやる」という人のほうが定住する傾向にあるかな。

江戸時代から観光で栄えてきた宮島の特徴は「来る者は拒まず、去る者は追わず」。世話好きな住民も多く、地域に馴染みながら奮闘する移住者を受け入れる町です。宮島に限らず、広島県の港町はよそ者に寛容なところが多いでしょうね。

菊地:現代の住宅は外の環境を無視した構造ですが、昔の家屋はその土地に合った工夫がなされています。例えば『因幡邸』には中庭があり、そこを起点に空気が循環することで、夏場は涼しくなる。そういう家に住み続けていると、人のからだのほうが土地に馴染んでくるんです。

人が土地に適応していくような田舎暮らしを求めている人は、宮島はもちろん、広島県内の島や山間部の古い家屋を探してみるのも良いのではないでしょうか。広島は裏表のないまっすぐな人が多いので、人間関係も築きやすいと思います。

空き家で出会った
探し手とオーナー
それを繋いだ人のお話。

AKIYA
INTERVIEW

すべて

SUPPORT

  • 空き家で実現したいことがある
  • ご自身の空き家について不安がある
  • 空き家について相談したい

サポート